written by you sakana.
香川大学、地質・地形の専門家、長谷川修一先生と宇多津の大束川(だいそくがわ)の上流、讃岐富士・飯山(いいのやま)の南側をフィールドワークさせていただきました!北から南に逆流する川の謎、台地を貫通して通されている水の道、かつて土器川が流れていた痕跡、「飯依比古(いいよりひこ)」を祀られた古代の米どころの秘密、古墳が御神体の讃留霊王(さるれお)神社などを巡りました。
2024年9月5日(木)撮影
まずは、座学で食文化と地質の関係を考える「ジオ・ガストロノミー」などについて講義していただきました。ジオ(大地)の上に、エコ(植生や動物)があり、その上に私たち人間の産業や文化が成り立っています。つまり、ジオのストーリーを読み解くと「なぜ香川県はうどん県なのか?」など、なぜこの土地で、この食材がつくられているのかなどがよくわかります。
NHKブラタモリでもおなじみ、地質・地形や防災の専門家、香川大学 長谷川 修一先生にご案内いただきました。
講義の後、宇多津を流れる大束川(だいそくがわ)から上流に8kmほど、香川県丸亀市下法軍寺(しもほうぐんじ)あたりにきました。向こうに見えるのは、讃岐富士こと飯野山(いいのやま / 標高:422m)です。
飯野山(いいのやま)という名前のとおりこのあたりは米どころ。丸亀平野は土器川の扇状地で水はけがよく雨も少ないので米より小麦栽培に適しており、讃岐うどんに適した土地です。しかしこのあたり、飯野山の南にある飯山南地区は昔から水田地帯。古事記には、讃岐国が飯依比古(イイヨリヒコ)と記され、飯野山にある飯神社には飯依比古命が祀られおり、その名前から飯山南地区は古代から米どころであったことがうかがえます。
2kmほど南にある大窪池。西側の仁池とともに岡田台地の谷部を利用したため池です。1645年の干ばつを契機に、1647年(正保4年)に、高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)の命で矢延兵六(やのべへいろく)によって築かれました。
岡田台地の礫層。岡田台地は、5kmほど南にある打越池(うちこしいけ)の南方から、かつて流れてきた旧土器川が作った扇状地です。古い時代の扇状地の砂岩礫層は風化してもろくなっています。飯山南地区の南側に位置する岡田台地は香川県丸亀市飯山町から綾歌町にかけての土器川右岸に広がる段丘で、10万年以上前の土器川の扇状地です。
丸亀平野の断層地形。岡田断層、上法軍寺断層模式断面図。(讃岐ジオパーク構想推進準備委員会より)
讃留霊王(さるれおう)神社に到着しました。
神社境内の前方後円墳が御神体で、讃留霊王(さるれお / 武殻王:タケカイコオウ)が、祀られています。
讃留霊王は、香川県坂出市福江町で悪魚退治をしたという伝説が残っており、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の息子として知られています。また、宇多津町にある宇夫階神社(うぶしなじんじゃ)には、讃留霊王が国内を巡行したとき小烏(こがらす)が道案内をし、嵐を免れたという伝承が残っております。
讃留霊王(さるれお)神社、別名、讃王(さんのう)さん。
「文政十三年」(1830年)と刻印された花崗岩製の鳥居。石造明神鳥居。間口2.2m、柱をやや内転びで立て、島木と反りの強い笠木で結んでいます。『国の登録有形文化財(建造物)』
国の登録有形文化財(建造物)。正面だけでなく背面側にも桟唐戸を設けている入母屋造平入、檜皮葺(銅板仮葺)の一間社の幣殿はともに2018年に『国の有形文化財(建造物)』に登録されています。
讃留霊王神社の江戸時代に作られた花崗岩製の玉垣。
神社の北側に法勲寺(ほうくんじ)跡があります。
古代寺院、法勲寺(ほうくんじ)。礎石保存の記。
讃留霊王神社の北側には、法勲寺跡から掘り出された花崗岩の礎石が並べられています。
讃留霊王神社の東側の低地には奈良時代前期(645年-710年)に創建された法軍寺跡があり、いまは田んぼが広がっています。
八坂神社の南側付近。段丘を開削して大束川が流れていることがわかる場所です。八坂神社の南では、岡田台地(段丘)を開削して、大束川が流れています。この開削区間は人工的な水路です。現在、農地に供給されている水源の1つである大束川は、岡田台地の北西端を開削して法軍寺跡に流れ込んでいます。
段丘を開削して流れてくる大束川、南西方向の上流。
段丘を開削する大束川。地理院地図土地条件図に標高を加筆。(讃岐ジオパーク構想推進準備委員会より)
僅かな地形の変化を探りながら周辺を散策します。写真右側が低地になっていて、農地として利用されているのがわかります。
逆さま川。大束川は飯野山の更に向こう側の北側にある瀬戸内海に注いでいます。しかし、飯野山が見えている北側のほうが低いはずなのに一部分だけ逆方向、北から南にむかって川が流れています。これは古代にこの土地を改良して川を流した痕跡。古代寺院法勲寺を囲むように流れ、地元では地形に逆らったように南に流れる区間を「逆さま川」と呼んでいます。
飯野山(いいのやま)の南側に広がる美しい田園風景。宇多津町を流れる大束川の上流の米どころは、地形や地質を利用し古代から人々の営みが作り出した風景ということが、今回のフィールドワークを通じてわかりました。普段見慣れた風景も地質や地形を読み解くと、新しい発見があります。